Talk about eyja
Talk about eyja #2
原田知世x伊藤ゴロー
今まで公の場で語り合ったことは数少ないふたり。
今日は「eyja」の制作秘話を明かします。
写真:新津保建秀 ヘア&メイク:遠藤ユキ(HEADS) 構成:エドツワキ 撮影協力:中目黒スタジオ
2010.01.29 updated
Ed(以下 E)実は「eyja」のプロデューサーである伊藤ゴローと、原田知世が揃って公の場でアルバムについて語り合うというのは初めてですよね。
伊藤ゴロー(以下 G)・原田知世(以下 T)はい。
E発売されてから少し経ちましたが、今日はアルバムの成り立ちから、レコーディング中のエピソードなど、最後はすべての楽曲について、思い起こしながら語り尽くしていただければと思います。
後に「eyja」というタイトルになる、このアルバムに関しての構想はいつ頃から話し合われはじめたんだろう?
T2008年の夏にpupaでの流れから、原田知世の次回作もEMIで制作しましょう。ということが決まって、すぐにゴローさんに報告しました。
今回もどなたかに数曲依頼する予定だったので、EMIのラインナップからシガーロスとやりたい。というリクエストを出したんだけど、彼らはバンド以外のアーティストへの楽曲提供はしないということが分かった。
でも、オファーした頃にはすっかりアイスランドに思いを馳せてしまっていて(笑)だから、同じく資料を送ってあったムームからOKをもらったときは嬉しかったな。
Eよく覚えているのは、あの年はゴローちゃんとSHIBUYA-FMで番組をやっていて、ある回でゴローちゃんがヴァルゲイル(シグルドソン)の曲をかけたんだよね。
Gそうそう。その時点では一緒にやることとか全く考えていなくて、好きなアルバムということで紹介したんだと思う。
E一方で細野さんが一曲書いてくださることになりました。
Tそうです! pupaツアーのファイナルでベースを弾いてくださった細野さんとは慌ただしく終わったので、近々お食事でもとお誘いしたら、その翌週に実現して....。
その楽しい食事の間にトントンとことが決まってしまって(笑)夢のような展開でした。
Eそれが、2008年の12月のことですね。大貫さんにOKをいただいたのも同じ頃?
今回、大貫さんに書き下ろしていただきたいというのも、知世ちゃんとゴローちゃんの中では初期の段階からありましたね。
G・Tはい。
Eそして2009年に入って、具体的な準備が始まります。そんななか、ゴローちゃんはnaomi & goroの二枚のアルバムのレコーディングでブラジルに旅立ちます。eyjaの楽曲はその前から作り始めていたの?
G結果的には随分変わったけど、行く前にスケッチができていたのが「FINE」かな。
T最初にデモが届いたのが「青い鳥」でした。
Gそう。あれはリオでのナオゴロのレコーディングも終盤に入って落ち着いてきたので、向こうで作りはじめた。
E「Giving Tree」と「voice」は帰国してから?
Gそう。アルバムに参加してくれるメンバーも決まってきて、どんな音でいこうかな、っていうのがなんとなく見えてきて作った曲だね。
Eヴァルゲイルやムームとセッションしにアイスランドに行こうという話になったのはいつ頃?
G2008年の11月くらいだったかな。その後一時期ムームとのやりとりが途切れた期間があって、待ちわびたデモが突然届いて、聴いてみたらすごくよかった。
Tもうオケもこのままでいい。という状態だったし「us」はふたりと女性が一緒に歌っているのがすごくよかったので、彼らのベースに出向いて一緒に仕上げたほうが絶対いい。ということになって。
Eでは、その前まではデータのやりとりで仕上げる可能性もあった?
Gあった。
Eヴァルゲイルはまだその頃は「謎の人物」だったよね。
Gそうそう。その時期彼はすごく忙しいようで、彼の所有するスタジオを使わせてもらうことになっていたんだけど、本人がどのくらい携われるか分からないということだった。
Eそういう状況で、我々は6月の終わりにレイキャヴィクに旅立ちますが、その前に東京でセッションも始まっていたよね。
Tプリプロダクションをゴローさんのスタジオでふたりでやっていましたね。時々、太郎くんや彩ちゃんがやって来て。という感じで。
E今回はゴローちゃんのプライベート・スタジオで多くの作業が成されたという点でもエポックだね。
G一番のエポックは、大貫さんがラフを持って来てくれて、ピアノ弾きながら作業やったことかな。仕事場に大貫さんがいるのがちょっと不思議な感じだった。それと、東京ではリズムを録ったね。ドラムが坂田学君、ベースがミト君。
レイキャヴィク
Eヴァルゲイルのグリーンハウス・スタジオはどうだった?
G夢のような空間でね、広いし緑に囲まれているし、自分の居住空間とプライベート・スタジオが
一緒になっているという、ミュージシャンにとっては最高の環境だったね。
T私たちが滞在している間も少しずつ工事していたりして、進化中でしたよね。
E気のやさしい若者たちが働いていたよね。
Gインターンでドイツとイギリスからヴァルゲイルの元で働きたくて来た子たち。
Tちょっとのぞきに来たつもりが、あまりにも居心地がよくて何年か経ってしまったって。
Eヴァルゲイルのベッドタイム・コミュニティーからアルバムも出しているベン・フロストはオーストラリア人だったね。
Tそう。アイスランド人のほうが少なかった。
Eところで、向こうに行く前に「marmalade」の音は来てたの?
Tうん。おもしろかったのは、A,B,と少しずつ違ういくつかのメロディーが作ってあって、歌ってみてその中から好きなのを選んで組み合わせてみて。という提示だった。
Eそういうプレゼンテーションというのは、今まであまりなかったのかな?
Gあまりなかったけど、すごくいいと思った。歌い手の側に立ってみるととても自然というか、選択肢があるのでいいやり方だなと思った。けど、彼の作っているような楽曲はメロディーだけじゃないんだなということが理解できた。
音色も含めたすべてがサウンドの一部で、そうやって全体の雰囲気が形作られていくから、尚更ああいう方法論なんだろうなと思う。

E「FINE」もヴァルゲイルのところで作ったパートが多いよね?
Gストリングス、ドラムのマーチングの部分、ボーカルも向こうで録ったね。あの曲は初期の段階から、ずっと姿を変え続けていたよね。
Tそうそう。
E僕の立場から言うと、アイスランドであの曲のミュージックビデオを撮影するというミッションがあったので祈ってました(笑)
Gふたを開けてみると、ヴァルゲイルはずっとレコーディングに立ち会って、色々と相談に乗ってくれたし、ミオっていう彼のアシスタントが頭の回転が早くて、察しがいいから助かったね。
Tヴァルゲイルはもの静かでドシッとしていて安心感を与えてくれる、クマのプーさんみたいな(笑) ミオはチャキチャキしていて現場を仕切って、そのコンビネーションがよかったですよね。
ムーム

Eそんなグリーンハウス・スタジオでの数日間の作業を終えて、レコーディングの最終日にムームと合流します。あそこは倉庫街にポツンとあって、中に入るとヴィンテージ感満載のスタジオだったね。
Tムームのふたりが今回のために選んでくれていたスタジオでした。
E僕が覗きに行ったときはすでにのんびりした空気が漂っていましたが、あの日はなにを録ったの?
G「us」の知世ちゃんとオルヴァルのボーカル。グンネルはひと前で歌うのが恥ずかしいからあとでひとりで重ねて送るからって、その場では歌わなかった(笑)それと「予感」のドラムとかキーボードを録ってデモのと差し替えたね。
Eムームのふたりの印象は?
Tチャーミング。シャイでやさしくて。でも、本当に距離が縮まった気がしたのはTAICO CLUBで再会したときかな。あのときは対談と撮影もやって「us」を一緒に歌うことができて、彼らもわたしたちの演奏になにか感じるものがあったのか、そのあとものすごく親密になってくれた気がしたな。そう言えば楽屋が隣だったから、彼らが本番前にすでにビール飲みながら、楽しそうにコーラスの練習していたり大笑いするのが聞こえてきて、ええキャンプファイアーなの?って(笑)
自分は久し振りのソロのライブだからすごく緊張していて、結局そのテンションのままでステージを終えたんだけど、その後のムームを観に行ったら、オーディエンスより誰より自分たちが楽しそうにやっていて、わたしはその姿に感動したし、これでいいんだ。と教わりました。そして、このひとたちと一年くらいツアーでもしたら、歌い手として大きく変わるだろうなあって想像した。気負わなくていい。そのままでいい。ということを教えてくれたひとたち。
アイスランド

E僕は撮影などで車で走り回っていたので、結構ジオグラフィックにもレイキャヴィク周辺を味わったんですけど、ゴローちゃんは、レコーディングのミッションが終わって数日滞在していたけど、どんな風に過ごしていたの?
G最初の日は部屋でのんびりして、残りは放浪(笑)
E満喫した?
G満喫した。
Eダウンタウンで撮影してたら、ホットドックをほおばりながら登場したよね(笑)
そのときの写真はブックレットにも納められていますが。
G本当に小さな街だから、歩いてると何ども同じ人を見かけたりするし、素朴でひっそりとした暮らし振りがホッとさせるというか。
E青森に通ずるところがあるのかな?
Gあるね。北国の港町特有の。故郷を思い出した。
Tビデオにはたくさんのひとが出てくれたんだけど、みんな心やさしくて協力的で本当に温かかった。
Eあの旅で印象に残った出来事で思い出すのが、ゴローちゃんのスーツケースが行きも帰りもロストしたよね。
一同(笑)
Tもはや伝説。
G数日届かなくて、毎晩ホテルで洗濯してた(笑)
E僕とARIKOが一日遅れで発ったんで、連絡を受けてヒースローで照会したんだよ。
担当者によって言うことが違うんで突き詰めていったら、今、その荷はこの空港にあるので、これから僕らが乗る便に一緒に載せますというから、安心してレイキャヴィクに降り立ったら、ない。という。結局どこをさまよっていたんだろう?
G実は一旦勝手に帰国してたらしい(笑)
Tそんな大変な思いをして、ゴローさん本当におつかれさまでしたって帰国して、そうしたら成田でまた無い! ってメールが入って。帰りは小倉(悠加)さんが一緒だったから、わたしがついていますから、大丈夫です。って言っていたのに....。
Gスーツケースが破損して戻ってきました。
T・E気の毒(笑)
帰国後のTOKYO
Eそんなエピソード満載の旅を終えて、東京でのレコーディングが再開します。プロデューサーのなかでアルバムの輪郭が立ち上がってきたのはどの辺りですか?
G曲は揃ってきていたから輪郭はできていたけど、その輪郭だけの段階が長かったね。
Eではディティールに入っていったのは、かなり終盤?
Gそう。ボーカルを入れる段階でもまだやってたよね。
Tだから、どんな感じで歌おうかとか考えたり迷ったりしたときもあったんだけど、思い起こすとトーレ(ヨハンソン)さんとやっていたときも、そんな感じでした。
ベーシックなトラックで歌入れを済ませて、後で彼が音を足したりってこともよくあったし。今回も歌を何テイクか録って、後で合うものを選んだりしましたよね。
Eそうやってディティールができてきた曲を聴かせてもらったとき、デジタルな味つけの印象が強かったのは意外だったの。
Gそうだね。当初は生っぽいイメージが自分にはあったんだけどね。そうなったのは自分でも意外というか。
Tわたしが思うに、ゴローさんは2009年に入ってからブラジルでnaomi & goroを2枚完成させて、その前後にeyjaの制作にグッと入ったでしょ。半年くらいの間に3枚のアルバムを完成させたというのはすごいことで、ブラジルで思い切りやったその反動が、eyjaのプロダクションには無意識のうちに働いたのではないかな。そう考えるとナオゴロの2枚とeyjaはまったく違うものだけど、同時期にゴローさんが手掛けた作品ということで、深い関係があると思います。
Eイン アンド ヤン ?
Gそうかもしれないね。自分が強く思っていたのは、時代時代に色んな装飾が生まれるけど、歌われるものを作っているわけだから、極端なことを言えばそこはどうでもいい。と。
もちろん知世ちゃんが歌うことを前提に作っている曲だけど、自分でも演奏したい。と思えるものを作っているし、そうすれば何年でも聴ける曲が作れたのではないかという手応えを持てるよね。
E寄り添いすぎないということだね。
Gそうそう。
伊藤ゴロー、ロンドンへ。
Eそうして東京、アイスランド、ふたつの島国のDNAが入ったアルバムが仕上がりました。
その音が入ったハードディスクは、ゴローちゃんの手で再び海を渡って新たな別の島に向かいます。
Gそう。ロンドンでマスタリングしました。メトロポリスというスタジオのトニー・カズンズ
という、往年のブリティッシュ・サウンドを沢山手掛けてきたエンジニアに仕上げてもらうために。
E彼にフィニッシュを頼みたいというのも、ゴローちゃんのなかでは早い段階からあったよね?
その通称トニカズさん(笑)の代表作というと....。
Gピーター・ガブリエル、マッシヴアタック、ペンギンカフェオーケストラ、デヴィッド・シルヴィアンの「Brilliant Tree」もそう。現場がどうだったかというと、とにかく大音量(笑) ノリノリで爆音で聴きながら身体で受け止める、みたいなやり方なのでちょっと横にいると疲れるくらい(笑)
Tへえええ(とても興味深そう)
Eマスタリングの行程を分かりやすく説明すると?
G今回も色んな場所で、色んな環境でレコーディングされているから、アルバム全体として聞きやすいようにバランスを整えていくこと。レコーディングでは完全でなかった部分、例えばもう少しドラムとベースを太くしたいとか、声を強調したい、とか下世話な部分ではラジオ乗りをよくしたい。とか、最後の部分まで調整していく作業なんだけど、益々この行程がとても大事になってきているよね。
Tぜんぜん変わりますよね。
E音の粒が輝いているというか、エッジが立って、埋没していたような音までも立ち上がってきて、大きな音で聴いても、小さな音で聴いてもそれぞれのよさが味わえるよね。
Gそうだね。確かに角が立っているけど、シャキシャキの角がついているわけではないよね。
Tまろやかなんだけど、輪郭がはっきりと存在感を放っていますよね。
これは前作からの念願でしたよね。
Eというわけで、ゴローちゃんはeyjaのために2度ヨーロッパへ行きました。
T2度目は荷物、大丈夫だったんですよね?
G大丈夫だった(笑)
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原田知世
アイスランド語で“島”を指す言葉(“エイヤ”と読む)をタイトルに掲げた、2年ぶりのアルバム。前作同様、プロデューサーに伊藤ゴローを迎え、アイスランドからはムームのほかビョークのコラボ相手として有名なヴァルゲイル・シグルドソンが参加。澄んだメロディと言葉が、心を清めてくれる。
『eyja』 EMIミュージック ジャパン ¥3,000 発売中 -
伊藤ゴローhttp://itogoro.jp
作曲家、編曲家、ギタリスト、プロデューサー。インストゥルメンタル音楽をメインに、映画やドラマの音楽を手がけ、国内外でアルバムのリリース、ライブを行う。ソロ・プロジェクト MOOSE HILL(ムース・ヒル)として、また布施尚美とのボサノヴァデュオnaomi & goroとしても活動中。
『passagem』 naomi & goro commmons ¥2,800 発売中
原田知世 LIVE TOUR 2010 eyja
- 2010.2.11仙台公演 仙台市民会館
- 2010.2.26山口公演 てしま旅館
- 2010.2.27大阪公演 サンケイホールブリーゼ
- 2010.3.6沖縄公演 桜坂劇場ホールA
- 2010.4.20東京公演 めぐろパーシモンホール
原田知世 LIVE "eyja night fall"
- 2010.4.12ビルボードライブ東京